点字の歴史1~14
2021年1月19日 00時00分 [管理者]
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21歳の時に,現在,世界中で使用されている6点点字を考案。 1854年,ルイ・ブライユの死後フランス政府に正式に認められた。 <筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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渡辺右和之一氏(明治36年没)が, 9年間の研究の後,「いろはに・・・」 の45字を紙折文字として表わす。 渡辺氏,41歳の時である。
<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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東京盲学校生徒小林信吉の結んだもので木綿糸をよって作り,結び目数と距離によっていろはを表している。
<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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明治9年頃,盲人某氏が教授用として製作。元来は鉛製であったが,紛失のうれいがあったので木製に変更した。
<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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土佐紙をこの上において,霧を吹き紙に湿気を与えて,ブラッシュで上からたたき,半乾きの時,取り外して乾かす。
<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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普通文字の高低により表した文字が できた。明治16年頃。
<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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7. 凸文字で作った小學讀本(しょうがくとくほん)
教科書を求める時代の趨勢(すうせい)にこたえ,凸文字教科書が出現した。 この製造に力を いれたのが,山尾庸三(ようぞう)氏であった。明治16年頃。
<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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鉛の台の上に朱筆で平かなを書き,下に針文字が作ってある。明治18年3月製
<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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字母数65。写真は書記用枠に収めているところ。
針文字は通常文字と点の中間にあって,バルビエ点字発明のきっかけになったともいわれ,訓盲文字歴史史上特に留意しなければならない。( 字母:最小の文字単位を表す。)
<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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仙台在住のキクチベンジ氏から石川倉次あてに出した手紙。
(キクチ氏は小西信八たちにも針文字で手紙を書いた。)
大正14年頃まで使用されていたことがわかる。
<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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ウイーン訓盲院創立者クラインは書誌性との母からの手紙にヒントを得て針文字を考案した。この手紙には1911年(明治43年)の記述があることから,この当時試用されていたことがわかる。<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵> |
今日なお使用され,約40カ国の国語に適用されている。特に中途失明者の文字としては最も優秀だといわれている。この特徴は次のようである。
①文字の要素・構成が簡単
②突起の程度が完全
③習得にも読み進むにも容易
<筑波大学附属視覚特別支援学校蔵>
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明治11年に日本で初めての盲学校,京都盲 啞院の初代院長である古河太四郎(たしろう)は体育に意をくだいた。彼の実施した方法に直行練習場・渦巻場・打毬(だきゅう)聴音場等が記録に残っている。
<京都府立盲学校蔵>
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